幼い頃、イタズラをして怒られた時などは爺ちゃんに助け舟を委ねていた。“ ちびまる子ちゃん ” のまる子と友蔵のような関係とでも言おうか。

 ジャイアンツが試合で勝つと小遣いをくれ、出かける時はいつも車の助手に乗せてくれ...就職してからすぐ残業で帰りが遅くなるような時は心配で職場まで様子を見に来てくれた程の優しい爺ちゃんだった。

 その祖父が大病を患いこの世を去り、13回忌の法要もことなく終えた。私の周りの“ いい人 ” ほど私から離れていってしまうのが早い。

 はじめての職場で意気投合した先輩も、次の職場で大好きなアイーティストのライブに連れて行ってくれた同僚も...次々と嫁いで行ってしまった。

 そう言えば...私が寿退職する日に、涙を流して送ってくれた仲間のことを思い出す。彼女は車いすで日常を過ごす体だけれども、しょう害を持ちながらもキチンと仕事をこなしていた。

 福祉の職場ということもあったが、彼女のことはできる限りフォローしていた。唯一私に出来た親切かもしれないが、私がその職についた時と同じ辛い思いをして欲しくないという気持ちもあった。

 彼女と同じ街に住む母が、時々様子を伝えてくれる。“ 会えることならあいたい人 ” の一人でもある。

 認知症の症状が現れた祖母のことは気がかりだが...田舎から逃げていたい気持ちのほうが今は強い。

 いずれは主人とともに実家に同居せざるをえない状況に陥るだろう。そこは諦めて、収入と生活のために...唯一資格のある福祉の道へとまた戻ることは確実である。

 同僚が去り、また1人去り...とそのウチに居残った私が中間管理職となり人に指示を出し人に頼られる立場になったこと。(母と同じ年代の人々を娘のような私が)

 同業者でなくてはわからない愚痴もある。同業者でもまた職種が違えばわからない愚痴もある。かと言って、家に仕事の情報を持ち帰ることもできず吐き出すこともできない。

 そんな日々を送るようになってからはネットで知らぬ人々と交信しているほうが気が楽だったように思える。

 WEBの世界は、逃げることも削除することも簡単にできる。無理に応じることをしなくても良いし放置することさえできる。

 子供の時ならば 『 嫌だ 』 とジダンダ踏むこともできよう。だが、大人の社会というものは、『 嫌だ 』 とは言えぬ立場に陥ることでいかに自分を上に持っていくかが勝負になる。

 社会人になって嬉しかったのは、大嫌いな体育の授業を受ける義務がなくなったことくらいだ。

 そのウチに、人に頼ることも甘えることも忘れ『 芯の強い 』を装うか日々淡々と過ごすか選択権もないまま眠り朝を迎えるようになる。

 楽しみがないわけではない。ただ、身近なところで話が合う仲間を見つけることは至難の技。無理に人に話を合わすのも性格上好まない。

 今でも年に数回だけ連絡を交わし合う、あのアイーティスト達のライブでしか会えない仲間と盛り上がることを最高の生き甲斐。同じ趣味の領域でしか分かち合えない基調な仲間達との楽しみのために頑張れる...と言い聞かせる時がある。

 私が変わり者なのは自分でもそう思うが、“ 自分はこうでありたい ” と常にその思いは持ち続けている。

 脱線はしたが...人生は横道だらけのほうが意外に面白い。その世界がダメなら自分で違う世界を見つけなくては何も始まりはしない。

 嫌なことや辛いことがあったら誰かに話をしても良い。しかし...1つ1つ言葉を選び慎重にならざるをえない “ 第三者からの伝達 ”。

 “ 友達だから誰にも言わない ”
 “ 友達だから心配で誰かに話して意見をもらいたい ”

 私なら前者のほうだが...希少な読者の皆様はどちらを選択するのだろか。ケース・バイ・ケースを選ぶのか...。

 「 本音を語ろうとしない 」かつて私のことを第三者にそう告げた人がいた。

 どういう例を用いたら良いかよくわからないが...

「 誰にもいわないで 」 と言いながらも、会う人会う人に話をする人と、「 誰にもいわないで 」と信頼して語ったことを会う人会う人にぶちまける人とのバランス。

 本人に自覚はないと思うが...悪い言い方で 『 おしゃべり 』 とでも言うのか。だったらいっそう、黙っていたほうが良いこともある。

 決して『 殻に閉じこもる 』 意味で捉えては欲しくないが...時には自分で解決するほか仕方ない場合もある。

 発想を転換すると、自分を自在にコントロールする力が弱まるとなんらかの心の病が生じ、それが逆に強くなればまた新しい道を開けるきっかけともなろう。
 
 頼られることは、それなりに有難いこと。自分に頼れなくなることは、それなりに恐ろしいこと。

 はァ~ア。爺ちゃんは天国で元気に魚釣りしてるのかなあ~。